飼犬の怖さについて

 今日は。今日の話も昔話でしかも小さい話です。
 今日のニュースで11か月の小さな子供が2頭の飼犬に噛み殺された(富山市)と言っていた。そこで又、20代の頃を思い出してしまいました。
 私はその頃頼まれて、姉の子供(姪です)をしばらく幼稚園へ送り迎えをしていました。ある日、その子を歩かせながら車の所へ向かっていると、1頭の犬が凄い勢いでその子に向かって突進して来ました。相手は犬です。まさか「お前何やってんだ。」と叫ぶ訳にも行かず、私はただその子の名前を呼んで自分に"抱きついて"来るのを待つだけでした。その子が自分に抱き着いた後、0.2秒後にはその犬は子供の首筋当たりを目がけて飛び掛かって来ました。くどいようですが、相手は"犬"です。容赦などありません。だが、こっちも子供の命を守る為には容赦などしません。
 自分は右手でその子を抱き抱えながら、左手の拳でもって犬の鼻筋当たりを"めり込む"位に気合もろ共"跳ね上げ"ました。すると、その犬は鼻先から血を吹きながら3メートル位の高さまで飛んで、地面に落ちた後、即死した様です。その犬は体長60㎝程でそんなに大きい犬では有りませんでした。
 そこへ飼い主の可愛らしい女の子が歩いて来ました。さすがに困った顔をしています。私はもう起きてしまった事をとやかく言いません。先ず首輪を外しなさい。と、それから‥変な言い方だったかもしれませんが、「ゴミはゴミ箱に入れなさい。」と言いました。近くに大きな鉄製のゴミ箱があったからです。女の子は言われた通りにしていました。それで良いと思いました。
 もう一つあります。同じ様に姪っ子を迎えに行った帰り、同じ様に突進して来る犬が現れました。びっくりしましたが、まさか「またかよう。」などと言っている暇は有りません。今度も大きい犬では無かったけど、ブルドッグでした。前回と同じく姪っ子を抱き、今度は拳でもって正面から相手のコメカミ当たりを一撃しました。今度は犬の方は「無事」だったみたいで、後から来た今度も可愛らしい女の子の足元にまとわりついていました。女の子曰く「すっかり怯えちゃって」です。
 その2回だけです。が、こんな経験はもう御免だと思いました。犬という生き物は自分より小さい生き物については"獲物"位にしか思っていないのだと思います。私の様に危ない思いをした人は少なからずいらっしゃると思います。ただ、相手が"犬"だから"事件"に出来ないだけなのではないか?と思います。先の11か月の男の子はとても気の毒だと思います。
 話のついでにちょっと似た感じの怖い思いをした事を書きます。
 今度は相手が人間になります。同じ様に20代半ばでした。私はとある駅前に車で立ち寄りました。そこへ女子高校生たちがそぞろに歩いて来ました。その頃の女子高校生ときたら、とにかくスカートが短かったのです。自分はそれはそれは嬉しそうな顔をしながら車から眺めていた"だけ"だったのですが、1人の女子高校生がゆっくりと自分の方に歩み寄って来て、いきなり"傘の先"でもって私の顔を"突き刺し"に掛かってきたのです。自分は瞬間的にそこにあった週刊誌で自分の顔を覆うようにした所、助かりました。その日の夜、母にその週刊誌を見せながら事の始終を話すと、「お前はどうしてそんな事をしたのか?」と、自分がお叱りを受けました。でも、週刊誌にはそれは大きな"傷跡"が付いていたのです。あれは一種の殺人行為だったのでは?と思う位です。人間も犬も"見境"が無くなると如何に凄い事をやらかすか‥について考えずには居られません。「嬉しそうに眺めている」事がそんなに「事件」な事なのでしょうか?
 そんな事があったせいか?分かりませんが、どうも自分は心から女性を好きになった事が無いような気がします。でも今、もうすぐ64歳になるけど、好きな人はいます。夜寝るときなど、いつもその女性の事を思って寝ます。完全に私は"普通"です。
 なんでこんな話を書くかと言うと、20代はそれなりに「辛い」経験もしているので、30歳の春から家に"引き籠って"勉強を始めた経緯を少し書いてみた訳です。
 書きながら思い出した事を最後に書きます。同い年の男がいて、ある時、その男が野球の練習中に大ケガをしました。その男は入院中に少し「心」を病んで、入院が長引きました。自分は同情からでは無かったのですが、"女遊び"位させてやろうと思い、「自分を振った」女をその男に紹介しました。‥その後、その男はその女と結婚しました。ま、めでたい話です。結婚式にも友人だから行きました。
 だけど、会社が倒産した後、私はその男に少し辛く当たって、それから「疎遠」になりました。(年賀状を一枚も書かない生活を10年以上続けました。)こういう所が自分の人として至らない所ですネ。
 そんなこんなで、今、それなりに昔の事を思い出して、思い出すと少し辛いけど、自分を許し、勿論、他人の事も許しています。人生だから、小さな"事件"なら誰にでも起きている筈です。大切なのは"今"です。
 私はいつも思っています。今日という日は何のために有るのか?です。
 ①昨日があるから今日が有るのか?
 ②今日は今日で何のためという訳では無い?
 ③明日があるから今日が有る?
 私は③をいつも思っています。明日が無くなれば、今日という日も存在価値は無いだろう。と。
 どうも今日は小さい話ばかりでした。この次は「人生には"気休め"も必要だ。」というテーマで書きます。では、また。

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