誘われるだけ幸せ?

 今日は。暇なので昔を思い出してしまいます。
 人の人生は中学から始まると考えても良いでしょう。どんな事を誘われるか、それは"冒険の始まり"に他なりません。
 私の場合、小さな話しか出て来ませんが順番に書き綴ってみました。
① クラブ活動に誘われた。
 中学校では電気工作クラブとバレーボールクラブに所属していました。期間は短かったです。今思えば、やるからには青春を賭ける位じゃないと意味無いかも。と言う感じです。
② 高校へ入った時‥色々買って貰った。
 父は何が嬉しかったのか、ラジオとか自転車、他は忘れましたが買ってくれ、おまけに現金まで持たせてくれました。戸惑いも在りましたが→20年程経ってそれを少し責めたら、父は「身を裂かれる思いがする。」と母に言っていたとの事です。
③ 東大を出て国会議員の秘書になれ‥と言われたそう。
 世の中には世間を良く知っている人がいるもので、私の親はそう言われたと話すものだから、自分としては「勉強がままならなくて困っているのに‥」と言う気持ちでした。 
④ 警察官にならないか?‥と言われたそう。
 先程と同じ人です。高校を中退して一応普通に働いている者に対して余計なおせっかいだと思いました。
⑤ 大工に誘われた?
 私が20才の時、家を新築したのです。設計は私がしました。大工の棟梁は私を盛んに"仕事場"に誘ったりしていたのは私が大工になり、娘を貰って欲しいと思っていたのでしょう。その時は気付きもしませんでしたが、親とはそういう生き物なのですネ。きっと。
⑥ 小学校の担任から TELありました。
 ある日、担任だった人から「恥を忍んでお願いする。~小学校の同窓会を開いてくれないか?」と言われました。私は断りました。お願いは自由かもしれないが、自分みたいな落ちこぼれに言わなくても。と思いました。
⑦ 仏門に誘われた?
 これ又、母の話ですが、お寺の住職さんが年に一度"法話"為るものを話して行かれるのですが、話の中で「仏門」という単語を5回も使って行かれた‥との事。母は何でだろうと不思議がっていましたが、ま、これも誘いの一種かな?と思いました。
⑧ 会社が潰れた時
 会社が倒産して次の仕事を探すときにはそれ迄の仲間が一緒に会社見学に行かないか?と誘うのは普通の事‥と思いきや、やっぱ、"良いヤツ"を誘って会社に滑り込むのが"利口な世渡り術"の様ですネ。自分は世渡り術など考えても判らない男のようです。
⑨ 大原の講師に誘われた。
 30才から勉強を始め、大原の簿記1級の受験科に通い始めると、「校長」を名乗る人が授業中に「講師」にならないか?と言うのです。その人は本物の校長先生でした。でも、講師なんかになると税理士になれないだろうと思いました。余り自分を何かのレールに乗っけてしまうのは、之までの人生経験から、上手くない。と思いました。
⑩ 共同経営を誘われた。
 大原の税理士課で勉強をしていると、「資格が取れたら‥共同経営をしないか?あんたは喋りが全然ダメだから」‥と言われました。同じ受講生からです。私は言いました。「あなたは税理士の資格は取らなくて良いんですか?」と。すると相手は絶句したまま向こうへ行きました。30代にもなれば人の気持ちの裏側も少しづつ判るようになります。
⑪ 仕事の独立を誘われた?
 また会社が倒産しました。鉄工所です。その時社長さんは「独立するなら~」と言ってヤンワリと誘っている様でした。ま、誰もがイワユル仲間が欲しいんだな。と思いました。
 何で自分はカタクナに夢を追い続けているかと言うと、20代の頃、友人から「お前は直ぐに夢中になって結局しばらくでヤメてしまう男だな。」と言われた事で、一つの夢を諦めない人生を送ろうと心に決めたからです。
⑫ 富士山の麓の合宿コース?
 めでたく会計事務所で働き始めたのは43才です。それから1年程経った時、所長さんがおっしゃるには「大原のパンフレットに合宿コースがあるから、お金の心配はしなくて良いから~行かないか?」と。これはヤンワリと"追い出し"に掛かっているのかも。と思いました。
 私は実の所、人に対して気を遣う事が苦手で、先の友人からも「お前はどこへ行っても嫌われ者だな。」と言われたものです。でも、たった一つの夢が叶ったのに、ここで負ける訳には行かないのです。ま、バカで無ければおっしゃる通りには致しません。という気持ちです。
⑬ とにかく150万円持って来なさい‥?
 私のお客さんが言った言葉です。いわゆる「資金繰り」の話で、強盗では有りません。「遺言に書いておくから。」とも言っていたっけ。人は金が余っている様に見えると何を言い出すか判らないから要注意です。
⑭ シルバーに誘われた?
 母が亡くなって、その年に無職になり、その後、就活の一環でシルバー人材センターで講習を受けると、盛んに"登録"なるものを勧められました。
 そう言えば、母の話ですが、税理士の資格を取ったが、上手く行かず、建築現場で働いている人がいる。‥と。自分もたとえ資格が取れても上手くは行かないだろうと、母に言われるまでも無く判っていました。でも、人間は判っていても決めた道しか行けない、悲しい生き物でもあるのです。
⑮ お参りに誘われた
 近くの方から TELがあり、色々話をさせて欲しい。と言われました。自分は勉強をしているから、何の話?と聞くと「お参りに来ないか?」と言われました。無職でいると色々誘われるのは仕方無い事ですが、そんな事がプレッシャーになって救急車を自ら呼ぶハメになってしまったのは、今では良い思い出ですが、今思えば、人生最大の危機だった様な気がします。
⑯ 従業員にならないか?と。
 めでたく税理士の資格が取れた後、暫くすると、先程の150万円持って来なさいと言ったその社長さんが訪ねて来られて、「失礼ながら、うちの所で働かないか?」と言うのです。私は、この位図々しい位でないと会社も維持出来ないのかも、と気持ちを新たにした次第です。
⑰ 最近では
 税理士会の役員を誘われました。その時、「研修部長」を引受けましたが、本部の役員?も誘われたけど「無理だと思います。」と言って断りました。
 以上、長くなりました。誘われる位は誰でも経験するし、それが無ければ人生は成り立たないと思う。思えば自分は新聞のチラシを見て自転車で最初の会社へ面接に行った経験が有ります。
 将来的にはAIがマッチングを判断する時代が来るのかも。今、租税教室などを通じて生徒達に接する機会があるけど、人生は長いからガンバッテ(ただ、私の様な人生はお勧めしません。)などと言っていますが、正直、素直に人の話を聞いているのは小学校までです。自分もそうでした。 暑くなってきました。今、事務所の温度は30度です。今日はここまでにします。では、また。

日本は社会主義国だった?

 今日は。以前から思っていた事を少し書いてみたいと思います。
【1】長い鎖国の歴史がある。
 日本は江戸時代に約200年間も鎖国政策を取っていたと言う。これは日本人の心理としての何かバイアス的な考え方により、ま、これで良かったんだ。‥的な考え方に落ち着く。小学校でも「あれは間違いだった。」とは教えられなかったから。
【2】泥棒を美化する文化がある。
 かつての"石川五右衛門"は大金持ちばかりを狙って盗みを働いたとか。これを現代的に考えれば→盗んだ物の大半が日本に留まっている限り大騒ぎする事は無く、「金は天下の回り物」と言ってある種の「共有的な考え方」に落ち着かせるのは、先程のバイアス的と同じかも。
【3】何を盗んでいるのか?
 この点では"私論"ですが‥未来の日本から夢を盗んでいる。‥と考えるしかないと思う。国の債務残高があまりに多すぎる。まるで「親のスネをかじるグータラな子供」みたいです。
【4】アベノミクスとは?
 いつも日銀総裁を後ろ盾にしているかの様な構図でメディアに登場するのは、「自身が全然判らない事は専門家に丸投げすれば良い。」という考え方なのだと思う。逆に専門家から見れば、安倍さんの能力の限界が丸見えの感がある。
 安倍さんは「バブルよもう一度」と躍起になっていたのだが、もはやもう自分を捨てて、初めて真面目に考えようとしている‥のかも。などと考えていると又、足元をすくわれそうな気がする。
【5】日本と言う国は?
 昔、記事に書かれていたが、日本は「政府よりも国民の方が賢い数少ない国の一つ」なのだとか。ヨーロッパではドイツあたりがそういう国なのだろう。よく、アジアのリーダーとか言われるが、日本の国民性(とにかく勤勉)とある種の偶像(遠くから見ていると良いイメージが先行して見えてしまう現象の事)が重なって、更に運も味方したので「古き良き日本」が出来上がってしまったと思う。
【6】政府は何をしている?
 真面目にやらざるを得なくなって来ている。だが、今となっては"先進国"であり続けたい"が為のムリが出てきていると思う。日本は古来から歴史を重んじる国であった(歴史がある国は皆そうかも)。そこはアメリカとは真逆で面白いと思う。なのにアメリカと同盟を結んでいる変な国です。
【7】世界の行く末は?
 世界全体が"疲弊"していく中で生き残る為には現代の「ガマン大会」を文字通り耐え凌いでいくしか無い。国民はその事をよく理解しているから政府に文句を言わないのだと思う。
 結局、AIあたりが未来予測をして人間を超えた存在になるまで待つ。→AI対人間の争いが生まれるがそれは仕方ないと思う。
【8】未来は?
 何かを捨てて掛からないと目的が達成出来ないという現実(実はこの点に耐え切れなくていわゆる"凶悪犯罪"が頻発している。)はAIで克服出来るか?‥ムリ。
 人間は"価値"を交換しながら人生を送っているから。聞いた話ですが、地球上から人間が居なくなっても大した問題ではない(微生物が居なくなると地球はオワリなのだとか。)との事。
 以前、人間は"脳を養殖"したいが為に地球上で養われている‥と書きましたが、ここは開き直って、社会主義国でも何でも良い。"脳を進化"させて→何かを成し遂げる事を人類の目標に据えて行かないと、ダメだから。
 どうも最後はまとまり切らなかったですが、今日はここまでにします。では、また。

絶対に落ちてはいけない"ワナ"について(その3)

 今日は。ブログもだんだん話が小さくなってきました。今日の話もカットしても良い位の小ささです。
【7】車のブレーキを掛けられた。
 これも20代後半の出来事です。ある時、車で後を付いて来る様にと言われて追尾していたら、やたらと山道をすっ飛ばす(自分はスカイラインRSターボだから余裕アリです。)ので、これは何かあるかな?と胸騒ぎがしました。
 案の定、自分は途中からそれまで80㎞位だったのを60㎞位に落とした矢先でした。目の前にタイトな右カーブが現れました。これはきっと‥と感じ、急減速をすると、カーブのすぐ先には信号があって"赤"でした。
 でも、ただの偶然とは思われなかったのです。→たとえ"青"でも止まれば良い。→後から付いて来るRSターボが止まれずに追突するから。その為に目一杯飛ばしていたのだから。‥という訳です。
 考え過ぎでは有りません。次の日、会社で仲間にお願いをしました。→あいつに‥「新車を一台貰い損ねたそうだってな。」と声かけして欲しい‥と。→そうすると、ヤツ(勿論、自分のすぐ先を安っぽい車ですっ飛ばしていた男です。)は直ぐに引っ掛かりました。‥「そうなんだ。惜しい事をしたよ。」と言った舌の乾かぬうちに、「何でその事を知っているんだ。おれとあいつ(もう一人仲間が居ました。)しか知らない事なのに。」と続けました。
 自分は偶然、すぐ傍でそのやり取りを見ていました。自分だけでなく、そこにいた仲間も事の顛末は飲み込めた様でした。何が言いたいかと言うと、20代の男にとって車はやっぱステータスであり、回りの男はライバルです。良い車に乗っていると、妬みを買ってしまうのです。でも、何も"追突"させて新車をセシメようとはいささかゾンザイな考えですネ。なお、ヤツはその後、自分を後ろからこん棒で殴り掛かったその男でした。
【8】荷物を落とされた。
 これも先程と同じ位の時期でした。こっちの話はもっと小さい、情けない話です。身体の小さめな男(自分より少し年上でした。)ともめ事になり、喧嘩になり、自分はその男を"折りたたんで"ゴミ箱にハメて放置しました。別にそれ位で死にはしません。
 それから数日後、昼を食べて、空箱を持って歩いていると、ふと、何かの影がよぎった気がしました。→その瞬間、自分はその場所から身を投げ出し、受け身をしました。→何と、空から"布が一杯入った袋"が"落とされた"のです。大きな袋で、まともに頭に受けていると、死んでいたかも‥位です。会社は染色会社だから、布袋は日常的に2階の通路からトラックに落とすシステムが出来ていました。
 この話は‥自分に落ち度が有ります。いくら喧嘩したからと言っても、人をゴミ箱にハメてはいけません。ただ、その男は一度そうする事で"気が晴れて"その後は何も起こりませんでした。なにせ会社が大した事無い会社だったので、いずれその男はヤメていったのです。
 こういう事が起きること自体、自分の人としての"いい加減さ"を表していると、今でも思っています。
【9】山で川を渡ったこと。
 この話は相手のいない一人芝居です。私の趣味はサイクリングで、日帰りでなるべく遠くまで出かけて行く‥というスタイルで楽しんでいました。あれは30代になっていました。朝5時位に出発して"有峰湖"へ行きました。たしか2度目だったので、有峰湖の向こう側から41号線へ抜けて来ようと思ったのです。
 地元の人に道を尋ね、山道を1人で走っていると、そこには"丸太を2本並べただけの橋"が掛かっていました。長さは5㍍位、川からの高さも5㍍位は有ります。私は自転車と共に渡るしか無いのです。自転車をバラして少しずつ持って渡ろうか?とか考えましたが、めんどくさいので自転車を押して渡ろうと決めました。バランスを崩すと、ま、命は無いでしょう。身体は疲れているし、もう夕暮れも近いし、道を戻る気もしなかったので、少し休んで、ゆっくりと渡りました。足は竦むし、バランスはおかしくなるし、とても怖かったです。
 結局、無事に渡り、家に帰ったのは夜中の12時を回っていたと記憶しています。母はただ、「何をしていたが?遅かったぜ?」と言いながら編み物をしていた事を忘れません。どんなに心配でも騒がないというのが昭和一けた生まれの母の生き様だったようです。それからは、親に心配を掛ける生き方をしない様に心掛けて来ました。
【10】勉強だけは唯一、ワナが無かった。
 私は30歳の春から税理士を目指して勉強をしていて、会社はその翌年に潰れ、近くの鉄工所で働きながら、サイクリング位を趣味とし、生きて来ました。現在64歳ですが、趣味も変わらず、RSターボから"アルテッツア"に乗換え、いろいろ在りながらも税理士試験をパスし、今は何だかのんびりと過ごしています。気分は完全に「年金生活者」です。
 今、一番に思うのは、20代は危険が一杯だったから、自分には勉強に明け暮れる人生が似合いだったかな?と言う事です。毎日、5時位に気持ち良く目覚め、一日の出来事を手帳にメモりながら、新聞とPCに向き合いながら生活しています。
 偉そうな事は言えませんが、人生の最終的な評価は「これで良かったんだ。」と思えるかどうかで決まる。と思います。
 私は1人暮らしになってもう7年になりますが、之まで1~2度、「お前が死んだらどうなるんだ?。」と言う様な言葉掛けをされました。でもおかしなもので、税理士の肩書きを手にすると、周りの人が勝手に気を使って"言葉に気を遣う"様になり、静かに暮らせています。‥かと思えば昨年の様に"田んぼで怒鳴り倒された"事も有ったり。
 そう言えば、その"怒鳴り倒した"人は先日"地区の集金"においでて、挨拶の後、玄関の土間の所に膝を付いて「領収書」を切って私に渡して行かれました。私は"逆に"自分だったら「この様な態度」を取れるかな?と思いました。
 人間社会はよーく観察していると、全てがバランスの下に成り立っているんだ。と何時もながら気付かされます。これからも「人生とは?」という問い掛けを忘れずに過ごして行きたいと思います。長くなりました。今日は此処までです。では、また。

絶対に落ちてはいけない"ワナ"について(その2)

 今日は。今日は"ワナ"の続きです。
【4】女の子が飛び出した。
 あれは私が23才の頃です。仕事の帰り道、何かの「胸騒ぎ」を感じました。何かと言うと、その当時、「人を跳ねると一生が台無しになる」位の事は普通に言われていました。現在とは違い、車は"一家に一台"の時代で、逆に言えば、事故というのも少なく、ただ悲惨なイメージがあって、極端に言えば、「車を運転するだけで"犯罪者扱い"」という社会でした。
 胸騒ぎというのは、近所の"塀"の影から女の子が飛び出す‥というものでした。そこで私は車を時速15㌔位まで減速して(それでも秒速4㍍ですよ。)その"塀"に近づきました。そしたら、「ドン」と言う「声」が聞こえた気がしました。「ドン」とは、勿論、「ヨーイ、ドン」のそれです。次の瞬間、2~3才の女の子が飛び出して来ました。私はその瞬間にブレーキを踏みました。すると間髪を置かず、"塀"から"近所のお婆ちゃん"が飛び出してきて、必死に私に向かってお辞儀を‥何度も何度もしました。
 とても怖い話です。そのお婆ちゃんも当時の女の子も現在、同じ家で元気に暮らしています。私は当時の事が少し"トラウマ"になっているかも。ま、単純に「車の運転には気を付けよう。」で片付けておくべきでしょうけど。
【5】頭の中で小さなバクハツが起きていた。
 これは"ワナ"と言うのでは有りません。原因は今も不明です。
 時々、「何等かの原因に因って‥」病気が引起される。という表現をする人がいらっしゃる。ここの辺りが現代の医療の限界を表している。と思います。
 私は20代前半は「何でこんな人生になってしまったのか?」という思いが拭えず、それが原因かどうか?それは判らないけど、自分の頭の中で、何かバクハツが起きるのです。寝ていても身体がビクッと震えて目が覚める事が良く有りました。友人に話すと、何処かの医者に相談してあげようか?と言ってくれたのですが、断ったと記憶しています。
 それから気付かない内にその"症状"は収まって行きました。何が言いたいかと言うと、生身の身体は微妙なバランスでもって成り立っている。だから、思いもしない、例えばリュウマチとか、その他の病気(精神的な事も含めて)が引起されるものなんだと言うことです。
 自分の場合は「呑気に暮らす」事で身体がバランスを取り戻したのだと思います。
 私の同級生で、税理士を目指していた人が居ました。ある時、私は税理士事務所で働きたく、履歴書を書いて、税理士事務所巡りをしていた時期が有りました。そしたら、ある事務所でその「同級生」に出くわした様です。年月が経っているので私は気付きませんでしたが、何せ「履歴書」を渡しているので、‥その同級生は元々何処か身体が丈夫で無かったみたいです。‥と言っても事後的にそう言っているだけですが、‥その同級生は、その後、体調が崩れて働けない身体になってしまったのです。どうやら私の事が大変なカルチャーショックになってしまった。(後からなら何でも言えてしまうのですが。)のだと思います。
【6】車を"細工"された。
 この話は怖すぎるので、少し短めに書きます。
 20代半ばでした。その当時、自動車の整備業というのは道端で太陽の下、割と「呑気」にやってらしたのです。いわゆる「カーショップ」です。自分はアルミホイールを付けたくていくつかのカーショップを見て回るのが休日の暇つぶしでした。
 ある時、店から帰る時、自分の服の裾が「ジャッキ」のレバーに触りました。その瞬間、ジャッキが下がりました。車の下には若い男の人が作業していました。自分は"怖くなって"すぐに帰りました。その後は、その男の人は助からなかったようです。
 自分は誰からも、勿論、警察からも何の問合せも有りませんでした。
 その後、とあるカーショップでアルミホイールを購入して車に取付けて貰ったのですが、その時の整備員の人こそ、前記の「若い男の人」と一緒に働いていた「兄貴の感じの人」でした。その際、「随分と作業時間が長いナ。」と感じました。それから車の調子が変になりました。アクセルを踏み込むとアクセルが戻らなくなるのです。自分は「呑気」な性格の為、気を付けて運転すれば良いだろう。と思っていました。
 その2~3年後、車を乗換え、ロケットみたいに速い車を飛ばして、「これ良いナー」と思っていたら、ある時、その速い車を買ったお店の社長から電話が掛かって来て、‥その時下取りに出した車を買った女性が友達連れでドライブしていて、高速道路で事故を起こし、どうやらアクセルが壊れて、ブレーキが焼付いてクラッシュした。当然死者も出た。と言う話です。その社長は私の事を責めたりはしませんでした。
 その後、生き残った"女性の友達"から電話がありました。そこで車に何か細工をされた様だと言う事を伝えました。"女性の友達"は「あの世へ行ったらそう報告します。」と言った様な記憶が有ります。
 以上、怖い話は出来たら書きたくないのですが、現在においても其処かしこに"落とし穴かあるいはワナ"と言うしか無い事実が有り触れている事を知ってしまったので、"落ちずに人生を全うする"事が実は人生で一番大切な心構えなんだと言う事を伝えたいのです。
 まだ先は続きますが、今日はここまでにします。では、また。

絶対に落ちてはいけない"ワナ"について

 今日は。コロナの影響でブログを見て下さる方が増えている気がします。
 ところで、「新型コロナウィルス」という表現は好きでは有りません。何か、「今年の型」と言っているみたいで危機感が乏しいのです。
 私は税理士として昨年、税務支援で個人の方の御自宅へ伺って「帳簿の在り方とか申告までの手順など」を説明させて頂きました。その時に感じました事は、自分を筆頭に、人生というものは不可思議で一発勝負で、時に"何かの力"に引っ張られているかの様に何処かへ行ってしまったりするものだ。自分は昭和30年代の生まれですが、現代においても同じ状況が有る(この少子化の時代なのに)事に驚きました。
 今日は、私の人生を振り返り、人生のいろいろな"ワナ"を紐解いていきたいと思います。
【1】小学校入学前の怪我は絶対に防がなくてはならない。
 自分は運動神経が足りなかったせいか?、首から上ばかり怪我をしていました。先ず「囲炉裏」に落ちた事。‥自分が2~3才の頃だったろうと思います。その時母は玄関でお友達とお話しの最中で、自分は「眠さ」の余り、頭から落ちてしまったのです。「鉄瓶」が掛かっていて、当然、お湯が沸いていました。自分は泣き叫びながら「囲炉裏」から上がりました。今でも「おでこ」の真ん中によく見ると跡が残っています。
 まだ有ります。小学校入学直前の春、近所の子供同士で遊んでいて、小さな「用水路」だったのですが、"頭から"落ちてしまいました。顔中血だらけです。小学校の入学式の写真には大きな包帯をした姿が当然写っています。現在、右の眉に沿うように傷跡が残っています。
 先程の火傷と言い、あと少しズレていれば一生残るアザなんかが出来ていたか或いは"片目"になっていたかもと思うととても怖いです。
【2】小学校の体育館で。
 5年生の時です。昼休みになると何故かクラスの皆が居なくなるのです。その内"事件"が起きました。皆は、実は体育館の屋根裏へよじ登って、事も有ろうに「体育館の天井裏」を横断していたと言うのです。1人の男子生徒が天井を突き破って2階の"観覧席"に落ちました。もし床まで落ちていたら、命は無かったでしょう。自分は知らなかったのです。と言うか、自分を誘ったら、"落ちてしまう"だろうと思って誘わなかったのだと後で思いました。でも、その後のホームルームで、その遊びを知っていた生徒は何人いるか?と聞かれたとき、1~2割の生徒だけが知らなかったのです。「もし知っていたら、君はどうしていたか?」と聞かれた時、自分ははっきりと「僕は必ず担任の先生か教頭先生にそれを話します。」と答えました。多分、先の【1】の怪我の経験から、怪我をするとどんなに親が心配するか‥を身を持って知っていたからそう言ったのだと思います。又、皆は私の性格を知っていたからこそ私には教えなかったとも思います。子供のくせにしたたかな思いで日々の休み時間を過ごしていたなんて、子供だと思って侮ってはならない‥と思います。
【3】中学でイジメ?
 今度は悲しい話になります。
 中学2年の時、数少ない友人が「電気工作クラブ」に誘ってくれました。そこでその友人は事も有ろうに、半田ゴテの使い方‥と称して、熱く焼けたコテの先を"目"にいれろ。とか、舌で舐めろ。と言うのです。先輩の言う事だからそれが正しいのだろうと思いたかったのですが、さすがに目に入れる事は出来ず、舐めてみると、やっぱり唇が焼ける匂いはするし、痛いし、その時の友人の顔は"何か不思議な物"を見ている様な顔でした。自分はバカなのでしょうか?それともバカに見えてしまう顔立ちなのでしょうか?後で思い返すと何だか悔しい気持ちでした。尚、自分は実は勉強は出来た方でした。ただ、性格上、人より良い成績を取る事には「ためらい」が有りました。母親譲りだと思いますが、先生から引っ張叩かれたり、蹴られたりして、ようやく「なら良い成績を取れば良いんだな。」みたいに開き直って勉強したものです。又、今でも唇は上より下の方が出ています。コテを当てたせいか?は判りません。
 悲しいというのはこの先です。20才位でした。スケート場で男女7~8人で滑った後の休憩‥喫茶店だったと思う。ある女性が先の友人とお付き合いをしていると言い出すのです。自分はバカ正直に、「そいつだけは止めておけ。中学の時、こんな事があった~。」と話すと、その女性は「はい。判りました。」と言いました。その後、その友人は自ら命を絶ちました。と言うか、親が朝、見ると死んでいた。という事でした。その時は自分は「社会経験の無さ」から、その友人の思いとか、まったく考えもしませんでした。昨年、小学校の同窓会で「あいつは自殺だったんだな。」と誰かが呟いていましたが、自分が関わっていたなんて、誰も知らないし、私も今後共、話す事は有りません。
 以上、人生の"ワナ"と言うと違うかも知れませんが、この場合、"乗り越えられるかどうか?"で決まるのではないでしょうか?
 現代社会も危険が一杯だと思いますが、私はもう「年金生活者」です。~なにくそ~という気持ちで何かに立ち向かう気概があれば良いのだけど。思えば、税理士試験に合格した翌年、今度は「相続税法」に合格したいと一生懸命に勉強していて、受験の願書の書き方を国税局に電話で聞いたら、「試験は受けられませんよ。」と言われて愕然としたあたりから、世の中こう言うものか?と思い始めた(と言うより、単に"年を取った。+相変わらずの世間知らず"と言う事か?)。
 実は"人生のワナ"についてはまだまだ一杯有ります。 今日はここまでとします。では、また。

誰でも指導者になれてしまう。

 今日は。これからは「小さな話」しか出て来ません。
 何故「誰でも指導者になれてしまう」のか?。
① それが人間の弱さだから。
 ‥麻原彰晃なる人物が世間を席捲した事は人間の弱さである所の「人を信じ過ぎる」心の隙間をついて人間を「もて遊んだ」結果だったと思う。人はゼロから生まれてくる。こんなのは常識だけど、もし、人が何等かの知識あるいは思考能力を携えて生まれてこれたならば、もっと良い社会が実現出来そうだけど、それが出来ないから、せっせと「教育」をする訳なのです。凄く生産性の低い事を"楽しみながら"やっているのが人間の姿ですネ。
② 成長が止まると全てが「形だけ」になってしまう。
 ‥日本社会も成長が止まってしまった。この先は「文化の継承と発展」を目指すしかない。だが、それが悪いと言っているのでは無い。人間は自分たちのルーツさえもまだ探し当てていない。この地球上にどの様にして生物が誕生したのか?と、楽しみながら考えている、幸せな生き物なのです。
 形だけでも良いのです。後世の人達が我々を認識するのは「社会の仕組み」だけだと思うから。つまり、「文化」はその時代だけの物であり、基本的に「承継」する必要の無いものだと思う。
③ 人口減少がもたらすものは?
 ‥何やかやの「ポスト」ばかりが"化石"の様に形を留める。つまり、「無くなってしまう事が怖い」のである。もし人間が1000年生きられたら、社会は混乱する。つまり、悪いヤツほど世にハビコッてしまうから。人間の寿命が1000年に延びれば、何事においても「生産性」が格段に良くなり、大方の人間は"遊んでいれば良い"という時代が実現すると思う。
④ そもそも「指導者」とは?
 ‥本人は自分が「指導者」とは思っていないと思う。周りが勝手に「祭り上げて」指導者と呼んでいるケースが多いと思う。先に述べた「ポスト」を与えて「指導者」を養成する。つまり、「指導者」とは「化石」をこしらえる作業なのです。だから、自ら「指導者」を名乗り始めた場合については社会がそれを予め想定していないものだから、誰でも「なれてしまう」のです。
⑤ 日本の目指すべき道は?。
 ‥平穏こそが日本の目指すべき道だと思う。考えてみれば、人の幸せとは、健康に生きる事、夢を持って生きる事、周りの人と良い関係(社会)を築いて生きる事。位でしょう。大金持ちになりたい人などもう現在ではいないか?あるいは「化石」の様な人という事ではないか?
⑥ 平穏とは?
 ‥忙しくて"悪い事"など考える暇も無い人達が世に溢れたらどんなに良いかと思う。この場合、自分の夢に向かってまっしぐらの人生を送る人はきっといつの日か「社会が認めてくれる日」が来る事を夢見ているのだから、これこそが人類に与えられた最高の能力に違いない。
 そもそも、あらゆる物質、理論、状態、現象その他の地球上に起きている出来事は全て「平穏」を目指す事のみのルールでもってこの世に存在し続けているのである。分かり易いところが"凧"である。凧は骨がピンと張っていなければ飛んではいられないから。
⑦ 最後に
 ‥どうも最近はブログの"骨"だけを考え付いて、肉付けはブログを書きながら"一気に"書く癖が付いてきました。せっかく読んで下さる人々に対し、この先面白い話は余り出て来ません。此れからは「思い出した頃」にブログを書いて行こうかな?と思っています。では、また。

人生には気休めも必要だ。

 今日は。人は「気休め」の中を生きているのだと思う。
 では、気休めとは?
① 一番良い高校へ行く。
 ‥中学生の頃、将来の事は普通に高校を出て、普通に働く‥これしか考えた事が無かった。と言うのも、出世とかどんな仕事に就くかとか親とは一度も話したことが無かったから。昔はそんな事も学校任せだったのです。自分は勉強は面白かったし、成績が良いと気分も良いから。
 そこで考えました。一番良い高校へ行って、ダメなら1年で中退して働こう。と。結局その通りになりました。変なヤツですネ。
② 家を増築する。
 ‥20才の時、親の貯めたお金で家を建て、それを増築したのは29才でした。両親との3人暮らしで、将来の為の増築です(その後"車庫"を建て、その2階を現在、事務所にしています。)気分が良かったです。ちなみに10代の頃から父親は何でも私に任せてくれたので20才の時家を新築中も自分は「棟梁(とうりょう)」と呼ばれていました。
③ 好きな車に乗る。
 ‥車というものは「人」を表すと思います。他では家、仕事、学歴です。他には思い付きません。よって好きな車に乗りたい訳です。ロケットみたいに速い車(中古のスカイラインRSターボ、しかも改造車。)でした。それに21年乗りました。この車で自分の人生観が出来上がったと今は思います。欲しいものを手に入れると人生が満たされた気がします。人間は他愛も無い生き物ですネ。
④ 勉強を始める。
 ‥③の通りだとすると、自分に足りないものは仕事だけだ。と勝手に思い、人から認められる仕事に就きたい。と思い税理士を目指して勉強を始めました。ただ、老後の事と、親に心配を掛けない為"働きながら"の勉強です。おかげで今、仕事はほぼ無いが、年金(これも少ない。)で生活出来ています。43才で会計事務所に就職できた時、これで高校中退は取り返した。と思ったものです。
⑤ 中国人と結婚する。
 ‥結婚は気休めでするものなのか?と言われそうですが、48才で結婚して子供が欲しければ、中国人しか相手はいないと思って、ネットで見つけた女性と結婚しました。可愛い女性でとても仲が良かったです。病気が発覚し、それを治して、3年半で離婚しました。その後、何と二人目の中国人との結婚をしました。こちらは半年で別居、早々に離婚です。でもでも、結婚は良いものです。
⑥ 税理士の資格を取る。
 ‥資格が取れた時、これで"人生の落ちこぼれ"と言われずに済むし、1人でも生きていける。と思いました。実際、両親共亡くなり、仕事も無く、引き籠りみたいな生活で、世間的には"世捨て人"に見えていたでしょう。又"今まで出来なかった事、好きな事"が出来ると思い、嬉しかったです。
 〇 家にペンキを塗って見栄えを良くする。(そうしないと43年も経っているから。)
 〇 運動して体力を付け、2度と救急車の世話にならないように。(体が資本と昔から言うし、体力的には60代はまだまだ此れからです。)
 〇 旅行に行きたい。(実際には日帰りバス旅行に一度行ったきりですが。)
⑦ 気休めの先に何かを見つけたい。
 ‥儲からなくても気分だけは良い。この間まで「無職」だったから。‥結局、「気休め」って何なんだ?‥気休めと言うのは、一見するとどっちでも良いような事を"こだわって"自分で決めていく事だと思う。
 もしかしたら、世の中は「気休め合戦」に入って行くのかも知れない。今の世の中は「どっちでも良い事」だらけに見えて仕様が無い。
 〇 政治家さんも何だか誰でも良いみたいな感じです。
 〇 学校は?‥就活の際、「出身大学」を言わないで。‥あれは何だったのか?今でも判りません。
 〇 「個の時代」が来ている。母から「個の時代って何の事か?」とよく聞かれたものです。(人生は自分の為に有る‥それを実践する事が人生だ。という考え方だと自分は思っています。)
 生きる事が気休めだとしたら、どうなるのか?ですが、答えは簡単です。"身の回りの事"を整えなさいと教えれば良いのです。身の回りとは"気休め"を自ら具現化する行動エリアの事だから、自分の回りが幸せになれる様に"小さく生きる"。そしてその結果が端の人には「出世した人」に映っても、それは世間がそう見ているだけで、実際のところは、立身出世を望む若者達がわんさか居てくれた方が大人たちには気分が良い。つまり"良い気休め"になるのですが、時代が気付いてしまった感が少し有ります。「どうせ何も変わらない。」と。
 私は「租税教育」の時間で「国の財政は経済で決まる」「新しい価値が生まれる事で人々の暮らしが豊かになる。」と教えてきたものだから、いわゆる"優等生"が増えてくれたら、みんなが楽しい世界が実現すると信じていますが、「個の時代」でそれを実践できる人がいるか?‥居て欲しいものですネ。 今日も長くなりました。この次は「誰でも指導者になれてしまう」‥について書きたい。 では、また。 

飼犬の怖さについて

 今日は。今日の話も昔話でしかも小さい話です。
 今日のニュースで11か月の小さな子供が2頭の飼犬に噛み殺された(富山市)と言っていた。そこで又、20代の頃を思い出してしまいました。
 私はその頃頼まれて、姉の子供(姪です)をしばらく幼稚園へ送り迎えをしていました。ある日、その子を歩かせながら車の所へ向かっていると、1頭の犬が凄い勢いでその子に向かって突進して来ました。相手は犬です。まさか「お前何やってんだ。」と叫ぶ訳にも行かず、私はただその子の名前を呼んで自分に"抱きついて"来るのを待つだけでした。その子が自分に抱き着いた後、0.2秒後にはその犬は子供の首筋当たりを目がけて飛び掛かって来ました。くどいようですが、相手は"犬"です。容赦などありません。だが、こっちも子供の命を守る為には容赦などしません。
 自分は右手でその子を抱き抱えながら、左手の拳でもって犬の鼻筋当たりを"めり込む"位に気合もろ共"跳ね上げ"ました。すると、その犬は鼻先から血を吹きながら3メートル位の高さまで飛んで、地面に落ちた後、即死した様です。その犬は体長60㎝程でそんなに大きい犬では有りませんでした。
 そこへ飼い主の可愛らしい女の子が歩いて来ました。さすがに困った顔をしています。私はもう起きてしまった事をとやかく言いません。先ず首輪を外しなさい。と、それから‥変な言い方だったかもしれませんが、「ゴミはゴミ箱に入れなさい。」と言いました。近くに大きな鉄製のゴミ箱があったからです。女の子は言われた通りにしていました。それで良いと思いました。
 もう一つあります。同じ様に姪っ子を迎えに行った帰り、同じ様に突進して来る犬が現れました。びっくりしましたが、まさか「またかよう。」などと言っている暇は有りません。今度も大きい犬では無かったけど、ブルドッグでした。前回と同じく姪っ子を抱き、今度は拳でもって正面から相手のコメカミ当たりを一撃しました。今度は犬の方は「無事」だったみたいで、後から来た今度も可愛らしい女の子の足元にまとわりついていました。女の子曰く「すっかり怯えちゃって」です。
 その2回だけです。が、こんな経験はもう御免だと思いました。犬という生き物は自分より小さい生き物については"獲物"位にしか思っていないのだと思います。私の様に危ない思いをした人は少なからずいらっしゃると思います。ただ、相手が"犬"だから"事件"に出来ないだけなのではないか?と思います。先の11か月の男の子はとても気の毒だと思います。
 話のついでにちょっと似た感じの怖い思いをした事を書きます。
 今度は相手が人間になります。同じ様に20代半ばでした。私はとある駅前に車で立ち寄りました。そこへ女子高校生たちがそぞろに歩いて来ました。その頃の女子高校生ときたら、とにかくスカートが短かったのです。自分はそれはそれは嬉しそうな顔をしながら車から眺めていた"だけ"だったのですが、1人の女子高校生がゆっくりと自分の方に歩み寄って来て、いきなり"傘の先"でもって私の顔を"突き刺し"に掛かってきたのです。自分は瞬間的にそこにあった週刊誌で自分の顔を覆うようにした所、助かりました。その日の夜、母にその週刊誌を見せながら事の始終を話すと、「お前はどうしてそんな事をしたのか?」と、自分がお叱りを受けました。でも、週刊誌にはそれは大きな"傷跡"が付いていたのです。あれは一種の殺人行為だったのでは?と思う位です。人間も犬も"見境"が無くなると如何に凄い事をやらかすか‥について考えずには居られません。「嬉しそうに眺めている」事がそんなに「事件」な事なのでしょうか?
 そんな事があったせいか?分かりませんが、どうも自分は心から女性を好きになった事が無いような気がします。でも今、もうすぐ64歳になるけど、好きな人はいます。夜寝るときなど、いつもその女性の事を思って寝ます。完全に私は"普通"です。
 なんでこんな話を書くかと言うと、20代はそれなりに「辛い」経験もしているので、30歳の春から家に"引き籠って"勉強を始めた経緯を少し書いてみた訳です。
 書きながら思い出した事を最後に書きます。同い年の男がいて、ある時、その男が野球の練習中に大ケガをしました。その男は入院中に少し「心」を病んで、入院が長引きました。自分は同情からでは無かったのですが、"女遊び"位させてやろうと思い、「自分を振った」女をその男に紹介しました。‥その後、その男はその女と結婚しました。ま、めでたい話です。結婚式にも友人だから行きました。
 だけど、会社が倒産した後、私はその男に少し辛く当たって、それから「疎遠」になりました。(年賀状を一枚も書かない生活を10年以上続けました。)こういう所が自分の人として至らない所ですネ。
 そんなこんなで、今、それなりに昔の事を思い出して、思い出すと少し辛いけど、自分を許し、勿論、他人の事も許しています。人生だから、小さな"事件"なら誰にでも起きている筈です。大切なのは"今"です。
 私はいつも思っています。今日という日は何のために有るのか?です。
 ①昨日があるから今日が有るのか?
 ②今日は今日で何のためという訳では無い?
 ③明日があるから今日が有る?
 私は③をいつも思っています。明日が無くなれば、今日という日も存在価値は無いだろう。と。
 どうも今日は小さい話ばかりでした。この次は「人生には"気休め"も必要だ。」というテーマで書きます。では、また。

人生は奇跡の連続だ‥その5

 今日は。前回が一番怖い話でした。この先は笑える話だと思います。
【1】車を燃やした。
 事の発生順に書いて行きます。私が免許を取ったのは19歳の秋でした。それで中古のホンダクーペ1300を買って乗り回していました。
 春になって夜勤明けに野球の練習をして、スノータイヤを交換した後、まだ遊びたくて、車を走らせていたら、案の定、猛烈に眠くなってしまいました。まだ車の怖さを判っていなかったものだから、対向車(大型トラック)がパッシングして合図をしてくれているのに、止まることもせず、結局は道路沿いの用水路に落ちました。車は火を出し始めました。私は頭を打っていたので、自分で頭を触り、「頭蓋骨が割れていたらこのまま車と一緒に焼け死のう。」と思ったのですが、割れてはいなかったので、そこにあったバットでフロントガラスをたたき割って、車から出ました。
 結局、世間知らず、親の恩知らず、生きる事の意味など考えた事も無いという取るに足らない1人の男の生き様そのものでした。今でも頭の片方だけが耳鳴りしたりしますが、そんなのは後遺症とは言わないでしょう。
【2】飲み過ぎて屋根から落ちた。
 今度も小さい話です。青年団で温泉宿で"たら腹"飲んで、真っ暗なのに酔っぱらった勢いでベランダからトタン屋根に出て、少ししたら屋根からズリ落ちました。山のふもとの川沿いの温泉です。落ちた場所が良く、大きな岩に寄り掛かるように落ちたので、怪我も無かったのですが、思い出しても怖いです。それを母に話すと、「酔っぱらっている時は案外怪我はしないものだ。」と言っていました。
【3】死ぬ程飲まされた。
 "飲まされた"と言っているけど、飲んだのは自分です。青年団の"締めの飲み会"で、調子良く飲んでいると、一升瓶2本と大盃で飲まされました。‥その後‥、ただで済む筈は有りません。天に向かって酒を吐き、その後意識も記憶も有りません。(汚い話ですみません。)気付いたら、翌日の夕方、場所は自分の家の茶の間でした。20時間程経っていました。
 くどいようですが、飲んだのは自分です。が、しかし、飲ませるヤツがいた(御多分に漏れず、そういうヤツがいるものです。‥昨年、自分を"怒鳴り倒した"その男です。)
 亡き父はよく、「男は一歩家の外へ出ると7人の敵がいる。」と言っていました。父は戦争に参加していた年代だから、厳しい教育を受けて来ている筈で、ま、普通の親父、やさしい部類の人間でした。
 尚、飲み過ぎの後遺症は無いのが普通です。気を付けましょう。位の話です。
【4】木のコロ(?)で殴られた?
 これが最後です。20代の終わり頃でした。その時分は周りには嫁さんを貰い逸れた?感じの男(自分も含めて)が少なからず居ました。
 自分の欠点を晒す事になりますが、どうも自分は「他人の不幸、自分の不幸」共々、どこか鈍感で、何が幸いし、何が不幸の始まりか、という分別が付きにくいタイプの人間なのです。‥今でもそれは変わりません。‥周りの男たちを見ていると、何だか必死に女にアピールしているナ。‥という感じです。
 ある時、女達の前で、その男に"チョッカイ"を出し、そいつの眼鏡を外して、すぐ前の本棚に乗せました。その男は"度近眼"の為、眼鏡を手にする迄、大分時間が掛かりました。私の気持ちは、「その男は止めておけ。」というサインだったのです。そういう所が自分の「分別の無さ」なのですが、此処で、「何故?」と問いかけたら、‥ヤッパ、色々書き切れない位の小さな事件が起こっているのです。それが人生です。
 先程の父の言葉は大げさでも何でも有りません。
 おっと、この後どうなったかを書かないと。‥ある日、仕事中に"その男"は私の後ろを追い掛けて来て、作業用の"木のコロ"でもって思い切り私の事を「殴り掛かって」来ました。私は"気配"で判りました。かすかな風圧です。私はと言うと、思い切り右足を後ろに振上げ、蹴り上げる様にしました。するとどうでしょう。見事に"長靴の先"がその男"の喉元を捕らえました。自慢では有りません。自分の身を守るとは、これ位「見境の無い事態」に対処する事も含んでいるのです。
 その後、その男は周りの男達に慰められながら、「あいつさえ居なければ」と言って泣いていました。気持ちは判らないでも無いが、人の事を「この世から消し去ろう」みたいな気持ちになってはならない。
 この世にはもっともっと苦しい、悔しい思いで、それこそ人生とは呼べもしない位の日々を送っている人もいるのです。大抵の事は「堪忍」して日々を生活しなければなりません。
 そう言えば、自分は20代の頃、「寛容の〇〇(勿論自分の名前)」と呼ばれていました。懐かしいです。以前も書きましたが、20代に思い切り多くの経験をさせて貰ったから、30歳の春から"受験勉強"を人生の全てを賭けて始める事が出来ました。今、昔話を書いていられるのも、何かのプレゼントを貰っているのだ。‥位の気持ちです。長くなりました。一連の「人生の奇跡」の話は一旦終了とします。 では、また。

人生は奇跡の連続だ‥その4

 今日は。今日は小さい話から始めます。
【1】命を助けられた。
 私が2~3才の時です。私の家の近くには北陸本線が走っていて、よくあるパターンですが、父の後を付いて行って線路の中に入り込んだらしいのです。勿論、記憶は有りません。そこへあの時代だから蒸気機関車がやって来た訳です。
 その時、地区の名士で、後に"地区長"になる人が近くにいらして、機関車と競争して走り、間一髪、私と一緒に草むらに倒れ込み、助けて下さったのです。
 自分は記憶に無い事なので「お礼」の言葉さえ伝えていませんでした。それどころか何かと"辛く"当てっていたのです。例えば、その人に「泥」を投げつけたり。自分がどれだけ悪いヤツか‥この事だけでもお分かりでしょう。
 そして、自分が四十二の厄年を迎えた時、神社でお神酒を頂いた後、その地区長さんの横に座り、一言「ありがとう御座いました」と言ってビールを注がせて頂きました。そしたら、在所の人から「命を助けて貰ったお礼を言ったのか?」と言われました。その一言が全てです。私は「はい」と一言答えました。その地区長さんは涙目になっていました。それから1~2年でその地区長さんは亡くなってしまいました。糖尿病の悪化が原因でした。
 今、時々命について考える事があるのはそういう経験から来ているのだと思います。
【2】今度は怖い話になります。
 私が二十五の厄年の時です。怪我をして3週間ばかり入院しました。足首の骨にヒビが入っていました。ポッキリ行かなくて幸いでした。
 ただ、案の定、私は"嫌われ者"なのです。同じ病院に入院していた人と退院後、バッタリ出会いました。「やあ」という感じでは有りません。が、だけど、どうして仲良くしていた訳でも無いのに向こうから声など掛けて来たのだろう。‥今でも分かりません。
 結局の所、自分はどこか引き篭もった性格(だった)のかも。あの時代は25歳と言えば「結婚する事だけを考えていろ。結婚して男は一人前だ。」の感じだったから。‥今はどうなんだろう。そういう話さえ最近誰もしなくなったと思う。
 これからが事件です。余り細かい話はしない方が良いでしょう。まず、
①その人が自分を殴りました。何が原因でその時自分が何を言ったか‥はもう忘れました。
②自分はそこに置いてあった大きな「鉢植え」を"寄り掛かるように"落としました。そしたらその男は「お前わざと落としたな。」と言いました。実際の所は「わざと」落としたのです。そういう所が自分の悪な部分なのです。「器物」を損壊すると、その場を立ち去る事が出来ない。つまり、"事件"にせざるを得なくなるのです。
③次に起こった事は"近くで見ていたお店の人"がやって来て、その男に話しかけます。どんな話かお判りでしょう。人を殴っているのだから。
④今度はその男は"そのお店の人"を殴りました。
⑤次はそれを見ていた"別のお店の人"がやって来て、その男を一本背負いで投げました。二人の"お店の人"は握手をしていました。ここで話が終われば、‥だけど「器物」を損壊しているし、‥本当の事件はここからです。
⑥その男は動けなくなってしまったのです。元々その男は"腰を痛めて"長期入院してようやく退院できた、ある意味幸せな男だったのです。それが、コンクリートに叩きつけられたのだから、動けなくなるのも当然と言えば当然だったのです。
⑦自分は静かにその場を離れました。誰も自分を引き留めたりはしません。自分は殴られた人なのだから、当然と言えば当然でしょう。
⑧それからしばらく経つと、救急車がやって来て、その男を担架に乗せて運んでいる所に出くわしました。その時、自分が「身を隠して」いればこれ以上の事は起こらなかったのですが、ぼんやり見ていたものだから、"その男"は自分を見つけて、何も言わず、自分の方を真っすぐに「指さした」のです。
⑨自分はその男の傍へ行きました。そしたらその男は担架に寝かされたまま、いきなり自分に「噛みついた」のです。凄い力でした。その男は自分を「殺しに掛かった」事は間違い無いでしょう。自分はと言うと、その男の髪を右手で押さえながら、左手で男の「腰のあたり」を持ち上げ、そして担架からドロップアウトさせました。
⑩次の瞬間、"その男"は全身の力が抜けました。‥と言うより、口から泡を吹き、白目を向いていたのです。周りの人は皆「おい見たか。」という感じです。当然です。
⑪ようやく自分は解放されました。今度も誰も何も言おうとしません。救急隊員は"ズリ落ちた"男の下半身をもう一度担架に乗せ直して、男を運んで行きました。
⑫これで話は終わるのですが、その晩、母に「お前どうした。首の所に何かの跡がくっきりと付いて、真っ赤だし、血が出ているよ。」と言われました。
 母に何処まで説明したかはもう忘れました。又、"その男"が相当にヤバイ状態であろう事は想像に難くないでしょう。その後、母から、何か「風の噂」の様な話を聞かされました。でも、それはもう自分の中では「済んだ話」です。
 無責任な言い方になるかも知れませんが、人に暴力を振るったりすると、絶対に良い事など無いのです。(では「暴言」の類はどうか?‥百歩譲って‥そこまで追いかけていては世の中が回らなくなってしまうだろう。)
 最後になります。母は死ぬ間際に、私の「俺は頭が高いか?」という問い掛けに対し、「なん、高くない。」と言ってくれました。ほっとした気持ちになりました。
 テレビで、肉親を失った家族を見掛け、話を聞く機会が最近は増えた気がします。気持ちを知りたい、あるいは伝えたいという思いを自然に表す世の中になってきたのだと思って聞くようにしています。
 今、私は1人ですが、怖くは無いです。それは気持ちとしては1人では無いから。今後の事も「お金さえあれば心配ない。」と思うようにしています。時々、今時のお年寄りの話を聞く事があると、有難く聞こう‥位の気持ちで聞いています。でも、老け込んではいません。元気なお年寄りがこれからどんどん増える。これはつまりは凄くハッピーな事なんだと思う。
 最近は何かの災害の話ばかり聞かされるけど、事、お年寄りに絞れば、最高に良い時代の真ん中に、今、差し掛かっているのだ。と言う事を遠慮無くメディアが取り上げたら良いと思います。長くなりました。今日はここまでです。この先もちょっと怖い話の目白押しになりますが、全部昔話です。長い人生だから昔話はたくさんあって当たり前です。 では、また。

人生は奇跡の連続だ‥その3

 今日は。ちょっと仕事で忙しいのでブログを書いている時間が‥、ま、軽い話を書いて「仕事の息抜き」にでもなれば‥と思いました。失礼かも。
 前回の様な怖い話はもう有りません。ただ、危なかった‥という話ならいっぱい有ります。今日は2つ位書きます。
【1】自転車で危ない目に。
 高校生の夏休みの時、夜中に急に隣町へ行きたくなって、自転車で走り始めました。そしたら、県境手前の所に「派出所」なるものがありました。これはヤバイと思い、ライトを消して走っていると、急に自転車ごと宙に放り投げられました。つまり、縁石の端のナナメになった所がアプローチになってしまったのです。3秒位浮いていたと思う。下り坂だったから。
 その時、もしも落ちた場所が道路の外だったら‥多分自分は死んでいたでしょう。でも、「あー痛かった。」で済みました。自転車も無事だったので、また走り始め、あと数キロで目的地へ着くという所で警察官に捕まってしまいました。
 結局、親が親戚のトラックをお願いして迎えに来ました。「自転車で帰る。」と言っても警察は聞いてはくれませんでした。ま、この程度の話なら、誰もが経験しているでしょう。では次、いきます。
【2】バイクでカーブを抜けた。
 高校を辞めた後だったと思う。従弟が「バイクは欲しいか?」と言うので、なら貰う。と言うと、従弟は125㏄のバイクに乗って家へ乗付け、置いて行きました。自分はヘルメットも持たず、夜中に乗り回したのです。悪い奴です。その結果、川に落ちたりしましたが、怖かったのは、これも夜中に走っていると、まだ舗装もされていない道路が急に直角に折れていた時です。結局、バイクを倒して、激しく火花を散らしながら左へ折れて、難を逃れました。その後、バイクの調子が悪くなったので、バイクは捨てました。今でもその直角のカーブ(家の近くです。)を通るたび、「危なかったな」と思うのです。ついでに軽い話をもう一つ書きます。
【3】特急に跳ねられた。
 今度は20代前半だったと思う。朝7時からの仕事の為、駐車場に車を止めて、近くの踏切を渡って会社へ行こうとしていたのだけど、前回も書きましたが、自分はボーッとしていたので、つい、遮断機をマタイデしまったのです。ふと気付くと、美しいプラモデルの様な特急列車が近づいて来ました。すぐ横の駅のホームを素通りしてやって来たのです。さすがにヤバイと思ったけど、いかんせん身体が動きません。その瞬間、自分は反射的に真上に飛び上がったと思う。
 次の瞬間、自分は空中にいました。そして電線をかすめて落ちた場所は、なんと先輩の真上でした。先輩は「何すんがや、バカヤロー」と言いました。でも、幸い、2人共怪我は無かったのです。列車は当然そこに停車し、車掌さんらしき人が会社の守衛の所にやって来ていました。自分はと言うと、その日一日、どうにも身体が痛かったです。今でもその踏切(割と家の近くです。)を通るたび、「気を付けなければ」と思うのです。
 以上の3つはいずれも自損行為だから笑っていられると思う。ただ、一つしか無い自分の身体を大切にして生きて行きたい。この次は「相手」のある話を又、書きます。とても怖い話になります。では、ごきげんよう。

人生は奇跡の連続だ‥その2

 今日は。今日はちょっと怖い話になります。怖いと同時に人の命にも関わる事なので慎重な書き方を心掛けます。
 自分の高校1年は多感で不安で、かつ、考えがまとまらない、どこかタイムアウトした時間を過ごす時期でした。そんな時、1年先輩から声を掛けられました。その後、他愛も無い話しかしていないけど、ある時、しかと殴られました。その時は我慢しました。だけど、その次、何かの拍子に私はその先輩を殴りました。どうやらその先輩は"顎の骨が折れた"みたいで痛々しい恰好でした。これは笑い話では無かったのです。
 結局、その先輩は私の命を狙ったのです。具体的な事は書きません。が、結局、自分は生き残りました。その先輩がどうなったかも書きません。問題はその後です。誰かが私の命を狙い始めたのです。
 近くの駅の正面の階段の前に差し掛かると、突然、自分の身体が飛びました。突き落とされたのです。その時は「あーびっくりした。」だけでした。だけど、1度では済まなかったのです。2度目は事件が起きました。具体的な事は書きません。今度も自分は生き残りました。実際、何がどうなったかは書きません。
 ただ、人の命を狙ったりするとどうなるか‥やっぱり只では済まないのです。
 その後は事件は起きてはいません。但し、別の先輩から一言言われました。「お前、高校をやめろ。」と。自分は結局高校を1年で辞めました。(辞めたのは、後からずっと考える羽目になったのですが、1番は「成績が悪過ぎた事」です。中学ではエリートだったのに高校ではビリの成績でした。)
 一つだけ書き加えます。高校を辞めた後だったと思います。私が駅の地下街を歩いていた時でした。女の人がボロボロに泣きながら、自分の前に立ちはだかり、「兄を殺人者にしないで有難うございました」と言ったのです。何の事かすぐに分かりました。その人はそうして自分の気持ちを自分に伝えたかった訳で、自分はその時、何かの区切りがついたのだと思いました。
 もう一つ自分の命に係わる事を書きます。今度は事件ではありません。
 私は、20代中ごろ、当時付き合い始めた女性と"東尋坊"へ行きました。なんて事は無い、ただのデートでした。だけど、ここで、ちょっとした出来事が起こりました。自分はとかくボーッとした性格で、「柵」をしてあると、つい"またいで"しまうのです。案の定、突然、自分の身体が宙を舞いました。とっさに何かを掴みました。それは"草"でした。何となく自分が凄く危ない状況に置かれていると感じました。何しろ足が宙に浮いているのだから。今でも、その時の彼女の顔が忘れられません。とにかく"何か信じられない"という顔をしていました。自分は"草"とか”岩"を何とかたどって這い上がりました。その後、歩いていると、知らない人から「あんた、よう助かったな」と、涙目で言われました。どうも自分はボーッとしている(この性格はその後もずっと自分を危ない目に合わせ続けるのです。ま、仕方ないです。)ので、別に?こうして生きているよ。ぐらいにしか思いませんでした。ただ、その後は"東尋坊"へは行っていません。
 人生というのは、やっぱり生きて過ごしてこそ、楽しい事もある訳で、勝った負けたでは無い、今を生きて、人として目いっぱい人生を感じ、何かを残す、そういう生き方をしていきたいものです。最後は月並みな言葉になりました。では、また。
 

人生は奇跡の連続だ。

 今日は。いつか書こうと思っていた事を今日書きます。
 私は今日、こうして元気に生きていられる事を"これは奇跡だ"といつも思っています(誰でもそういう体験の一度や二度は経験していると思います)。ただ、人生において、奇跡の瞬間を感謝の気持ちと共に思い出す‥という思いは人間だけに与えられた"特別の感情"だと思う。
 夕べ、今までの「奇跡」を書き出してみました。全部で10個ありました。この後、順番に書いていきます。
① バスの下から這い出た。
 あれは小学校5年生の冬でした。道路の両脇には除雪された雪の山が在り、スクールバスがやって来たので自分は雪の中程に登ってやり過ごそうとしました。そしたら、バスの振動で足元の雪が崩れ、自分の身体はスッポリとバスの下(前と後ろのタイヤの間、逃げ場の無い所)に滑り込んで行きました。バスは普通に走っています。(小学校が統合されて、スクールバスを見たのはその冬が初めてでした。)
 自分はその時、体育の時間の「でんぐり返し」の要領で頭の横に手を突いて、足を引き上げ、地面と車体の間を"戻る"ように頭の方向に回転しました。足(当然、長靴を履いています。)の先が車体をかすめる様に車体から回避でき、その後も手に力を込めて"体を迫りくるダブルタイヤから脱出させるべく"体を放り投げる様にしました。実際、その時の記憶は、タイヤの音と共に"ストップモーションの様に"頭にこびり付いています。
 自分は体育の成績は"下の方"です。今でも、あれは「体が勝手に反応した‥生きるための反射だった。」と思っています。バスは何も知らないかの様に走り過ぎて行きました。後から歩いて来た同級生は目に一杯涙を溜めて、「良く助かったな」と言ってくれました。次の日、又、バスが来ました。自分は今度はしっかりと足場を固めて雪に登りました。そしたら、バスは極端にゆっくりと近づき、自分の横で止まって、運転手さんが窓から顔を出し、泣くような声で「頼むから雪に登るのは止めてくれ」と言いました。自分は「ああ、運転手さんは気付いていたんだ」と判り、改めて昨日の恐怖が蘇(よみがえ)りました。
 後から聞いたのですが、バスの運転手さんは学校で、泣きながら「運転手を辞めさせて欲しい」と頼んだとの事です。母がそう言っていました。
 人が生きるという事は一日一日を精一杯、文字通りに命を懸けて生き延びる事だと、その頃から感じ始めたかも。今でも「何があるか分からない」という気持ちで日々を生活しています。ただ、恐怖ではない、感謝の気持ち、果ては「穏やかなる心持ち」で生きなければ、と何時も思っています。更には、こうしてブログを書いていられる生活の余裕と、それが出来る環境を与えられているネット環境(今、この時も大好きな"石川秀美"の唄を聞きながら書いています。)に感謝しています。今日はここまでにします。12時になったらネットでオフィスワゴンを格安で買えるかもしれないので。 では、また。

人生とは、強みと弱みの分かち合い。

 今日は。人生とは、強みと弱みの分かち合いだと思う。人は誰でも強みと弱みがある。そしてそれは気付きがあって初めて分かち合う事が出来る。
【1】幼い頃
〇 幼い頃は、家の立ち位置、生活の環境、親の持つ「世界観」の影響を受けるのは当然でしょう。
〇 私が小学2年生の頃の思い出を一つ書きます。‥学校の下校時間になって階段を下りていると、女の子達がそれはそれは機関銃の様な速さで喋りまくっていたのです。一方自分はと言うと、一言も喋れなかったのです。それで、つい、階段に寄り掛かっていた女の子のカバンをちょっとだけ「蹴飛ばした」のです。そしたら女の子たちが怒って、私の両腕を抱えて、そのまま職員室へ連れ込んで、むりやり「謝らせた」のです。
 何だか悲しかったけど、子供ながらに"我慢するしか無い"と判っていました。
【2】自意識が芽生える頃
〇 自分の強みが判ってくる。が、まだそれを強みと受け止めてはいない。‥例えば3年生にもなれば勉強、スポーツ、コミュニケーション?など、「差」が出てくるが、それを自分の将来に重ねたりはしない、つまり、ただ、今を生きている時期です。
 弱みはすぐ判る。人は弱みの中から成長しようとする様にインプットされている様だ。弱みに気付いてもそれを相談する事など出来ない。子供は、現実を受け止めながら、耐え忍ぶ事で"上級生の様になって行くのかな?"位にしか思わないのです。
【3】思春期?
〇 何が許せて、何が許せないかの基準‥これは極めてプライベートな事、強いか弱いかの問題では無い。(この事を書き始めると終われなくなるので今日は書きません。)‥基準の中で判断するから"端の人"には分からない。
〇 一度幼い頃に戻るんだと思う。つまり、素直に勉強出来たらぐんぐん伸びる(端の人にはそう映る)。だけど、戻りたく無い人も多い。→これは厄介です。→早く大人になりたいのだから、焦る。→人の言う事など聞かない。(端の人には"気違い"に見えてしまう。昔は割と簡単に人を気違い扱いしていたと思う。)
【4】では何が問題なのか?
〇 思春期は自分の正しい判断が出来る。‥実はこの「正しい判断」が世の中に合っていない。つまり、大人の世界は正しい判断が弱く、ゆがんだ判断がまかり通って、そこにお金がまとわり付いて行くのである。つまり、お金こそが悪(必要悪)なのである。→自分でお金を稼いでいない間はお金の醜さなど分かる筈が無い。
【5】どうすれば良いか?
〇 人生は何度でもリセット出来る。但し、自分が自分から離れる事が出来るか?に尽きる。‥昔は「何かが取り付いている。」と表現したものだが、凄く上手く言い得ている。
 この「取り付き」に気付き、時にはひっぺ返す→これを人類学的に実践出来たら人生は次のステージ(地球規模で、ME TOOできる世界)が見えてくるかも。
 世界の今起きている様々な問題は「差別」がある事の実態に他ならない。
【6】差別が無くなる事は無い?
〇 遠い将来は無くなる時が来るかもしれないが、今の間は「差別を楽しむ?」スポーツだと思って対峙していけば良い。
【7】開き直れば良い
〇 それしか無いのである。強みを伸ばして、弱みをカバーする。‥これを上手く手助けするのである。そういう専門家が育っていない。人間なんて不器用な生き物なのである。
【8】必要なのは器用な人間を育てる仕組み
〇 判って来ました。人間は器用にならなければならない。→これをAIに任せようする輩(やから)がいる。これでは人類は進化しない。いや、進化とは何か?すら判っていない。
 今は見守るしか無いが、「器用にならなければ」と声を上げる事だけはしていこうと思う。 今日はここまでです。 では、また。

人はやっぱり"生かされて"いる?

 今日は。前回、「いろいろあった2019年」について書こうとしましたが、それはもう良いと思います。人は常に「いろいろある」生き物だと思うからです。
 表題の"生かされて"いるとは?
 ‥若い頃こそいろいろあるべきだし、実際にありました。でも、どうしても頭から離れない出来事がありました。それは、ある本との出会いです。その本の題名は「超相対性理論入門」でした。
 それは10代の終わり頃でした。本屋さんへ行って、その本を最初見かけたときは「何だろう」位の興味だけで立ち読みしていました。その後、また出かけて、読んで、すごく面白いな。と思ったけど買う程では無いな。と思っていましたが、次に行った時、その本は無くなっていました。店員の人に聞いても、連れない返事しか返って来ないので諦めていました。
 ところが、今日、ネットで検索してみると、その本がAmazonで"古書"として売りに出ているではありませんか。1972年発売‥と書いてある。正に自分が立ち読みしていた時分です。本の表紙もはっきり記憶していて、そのままの画像が載っている。
 内容は、宇宙船の原理が書かれていて、3人乗りの宇宙船の設計図が書かれていました。動力は2万ボルトでした(20万ボルトだったかも。少し忘れています)。自分はまだバイク少年で、その本はついつい夢中で立ち読みしていたのです。なお、自分だったら、乾電池を使ってとりあえず”飛び上がれる”位の宇宙船の模型が作れるかも‥と思っていたし、又、実際に3人乗りの宇宙船を作って好きな人と子供とで、宇宙へ旅立てたらいいな~。と思ったものです。
 それからもう45年程経っている。正にその記憶に自分の人生のどこか一部が支配されて今日を迎えている。きっと「本を書く」人はそれこそ「書かずにはいられない」衝動でもって本を書き、結果として他人の人格の一部に入り込んで”人知れず”人を導いている。という生態が見て取れます。実に面白い、そして懐かしく、又、切ない思い出です。尚、何かコメントを書こうとしたら「あなたはコメントをする資格が有りません」と出た。Amazonではまだ何も買った事が無いから、当然だな。と了解しました。(その本を買うかどうかは今は分かりません)
 人の記憶というのはその人だけのもので、人は記憶のピラミッドの周りを遊泳しているだけの存在なのかも。肉体は常に変化しているというのに記憶だけがいつまででも鮮明に変わらず存在し続けるのは、やっぱりその「記憶のピラミッド」こそが人類を支配している証拠かも。
 あまりこういう事ばかり書いていて、頭がおかしくなっても困るので、(と言うか、実際、"古書"を見つけた嬉しさを表現すれば、これ位書かないと済まないのです。ご容赦を。)
 さて、「2020年は飛躍の年に」というのが年頭の目標ですが、なんでこんな気持ちになったかというと、
① 昨年、パソコンを買い足してWindows10+オフィス2019の標準?装備を手に入れて、これで人並みのネットの世界と、仕事の効率を目指して頑張れるかも。‥中古だけど、17インチで、そのくせ重くないから、自分には最高の"相棒"になりそうです。実際、今も快適です。Bluetoothなるものがある事も知らなかった。ハッハ。我ながら変なヤツだなと思います。
② 税理士としての「代理送信」という作業があるのだけど、やってみると"エラー"が出る。これを今年中に何とかして、恥ずかしがらずに税務署でも行って教えて貰えばいいから。と思っています。
③ 以前も書きましたが、「富山マラソン」を走る目標はまだ忘れてはいません。地道に頑張ります。
④ 自分はHPを開設していますが、これが最近、之までのPCでは出来なかった「ある種のダウンロード」が買い足したPCでは出来ているのです。ご丁寧に、全てのダウンロード(全て自分が操作したものだけど)が残っていて、そこから「飛ばす?」事が出来る。凄いですね。
⑤ 自分も60代半ばに差し掛かろうとしている。‥之からの日本は、いや、中国もそうだけど、人が足りない、人だけが足りないという社会が始まろうとしている。こんな時、人はどんな考え方を始めるか?‥悪く言えば、人を「消耗品」と捉えるのです。
 あまり変な事は言いたく無いですが、人は時に「将棋の持ち駒」にされます。誰もそんな事は口にしません。でも、税理士会の会合で、ある会員が突然、怒りを込めたかの様な発言を始めた。‥これは昨年の出来事です。‥そう言えば自分も昨年、田んぼで随分怒鳴られたっけ。‥話を戻します。その人は娘さんも税理士で、きっと、税理士会の将来を思うと、娘の事が心配になった、あるいは親として気持ちをぶちまける事しか出来なかった。という事だと思います。すごくまっとうな考えだと思います。
 何でこんな事を書くかというと、社会の仕組みなんて物は所詮は「手作り」で、あたかも「時代の流れ」なるものが有るかの様なふるまいを人は(自分も変わらないかも。)してしまうから。
 以上、思い付いた事を書きました。今年も始まったばかりです。どうか良い一年にして行きましょう。では、また。

人類の歴史を人の一生に例えると

 明けましておめでとうございます。
 本年最初のブログになります。 どだいブログは思い付いたら一気にメモってしまうので、5~6分で出来てしまいます。
 さて、表題についてですが、
○ 人類は今、大人になった。従って身長的にはもう成長しない。
○ この先は何があるか分からない。というより「何でも有り」の人生が待っている。
 では、資本主義はどうなる?資本主義の限界説が囁かれているが。
○ 資本主義は単なるルール作りに他ならない。なお、ルールは人間が社会生活を送る以上絶対に必要なものである事は議論の余地は無いでしょう。
○ この先は‥ルールは何かあればそれで良い。‥議論する様な代物では無い。
 政治は?
○ これも単なる人気投票だから放っておけば良い。
 宗教は?
○ これは現在の状況を言い表せば、「何かに悪用されている。」この「何か」を解明しなければ人類は宇宙へは進出出来ない。
 結局、人類は「気持ち」の副産物として「宗教」を見つけ、それが何かに悪用される事で「荷物」になっている。
 解決策は?
→ズバリ、日本である。→「墓仕舞い」は「宗教離れ」の入り口である。つまり、”日本教”が世界に広まる時代がきっと来る。
 ”日本教”とは?
 ‥争わない‥何があっても争わない‥という教えである。具体的には?
→日本の隅々まで人々に見せる。‥隠さないという姿勢(考えてみれば中国の古来の姿そのものではないか?)
→中国は古来、人としての「生き方」について尊い教えのあった国である。このことは中国という国が割と「閉鎖的」な国になってしまった為(と言うより中国がある種の自己否定をしてまで近代化をしようとした為)、この尊い文化が世界に浸透していない現実は「もったいない」と思うばかりです。
○ 中国は、(中国に限らないかもしれないが、)最高の人としての生き方を殺して国を征服した悪人がいたという事で、ま、それも人間の姿だから仕方無い。
 どうすれば良い? 
○ 中国の昔の姿を探そう。→そういう事については中国は「名残り」を残しているハズだから大いに研究しよう。
○ 具体的には、中国人とタイアップして、「回りの人」、つまり、大きな影響を受けた人々が、例えばエジプトを発掘するかの様に発掘する。
○ 中国という国は簡単にはそんな事は許さないと思うが、たっぷり時間を掛けてやってみれば良い。‥と思う。
 この先は「追記」です。
 良からぬ事を考えていると、足元をすくわれるよ。‥良からぬ事とは?‥例→パチンコです。(パチンコはついつい夢中になってしまうでしょう?。つまり、悪い事程「はびこって」しまうと言う事。
 人間の「気持ち」の部分に隠れている闘争心と言うものを科学的に解明しなければ。→それが解ってくると悪い事を自覚し始めるから、人類が次の進化へ移行したいなら、必須であると思う。
 以上、最後は暗示めいた事を書いて閉めます。 今年も時々は思いをしたためて行きますので宜しくお願いします。 では、また。
 

いろいろあった2019年、2020年は飛躍の年にしたい。

 今日は。久しぶりです。先ずは「小さい話」から。
 左手の親指の爪がずっと「異状」でした。何だかペラペラなのです。‥でした。とは、今は治っているからです。どだい「爪」というのは「死んだ細胞が固まったもの」なのだとか。では何故「治った」のか?
 私は平成28年に税理士試験に合格し、翌年に「税理士登録」を普通にしました。自分にとって「税理士を始める」とは、とんでもない位に未知の世界でした。税理士試験の合格を目指し、人生を賭けて、足掛け30年掛かって合格を果たした訳だけど、更に、会計事務所の経験が14年もあるから心配する事など無い筈でした。だが、実際は違いました。
① 亡き母は「お前は資格が取れてもきっと上手くはやれない人だと思うよ。」とよく言っていました。
② 自分は高校を中退している。→同級生が少な過ぎて名刺を渡す相手があんまりいない。
③ 合格の3年前に会計事務所を退職している(この話は長くなるのでしませんが、「これで税理士になれる」と思い、実は嬉しかったです。)ので、いわゆる「暖簾分け」とは縁が無かったです。
④ 一人暮らしなので、そんなに稼がなくても良い‥という気持ちになっている。
⑤ 世間的に見れば、「どうせ跡取りのいない人」だから、仕事が来ない。
 ここ迄は「合格」する前から判っていた事でした。だけど、やっぱり、いや、判っていたからこそ「とんでもなく怖い→緊張する」状態が続いたのです。今だから言いますが、税理士になれたら、3度目の結婚も夢では無いかも。‥などと、正しく夢みたいな事を思っていました。まあ、そんな事だから余計に緊張していたのでしょう。実際の「手続き」としては、
 独立開業したい旨を表明する。→以前勤務していた会計事務所の所長さんから「勤務していた事の証明書」を頂く。→税理士会の審査(書類審査の後、面接が有る)を受けて、晴れて税理士として開業が出来る訳です。ま、普通にやれば何てことは無いのですが、変な話、自分は誰かに勧められて独立を目指した訳では無いし、そもそも、税理士を目指した時も誰にも相談などしていないのです。
 結局は自分の性格である、「気の弱さ」から来る「緊張」状態のため、ストレスが溜まって先ほどの「爪のペラペラ」が現れたのでしょう。(ちなみに、爪は1年に8ミリ程成長するらしい。‥私の爪は8~9ミリがペラペラ状態で、その後は元々の爪が生えて来まして、現在はそのペラペラの痕跡が爪の先に僅かに残っているだけです。)なにせ、一人暮らしというのは、自分の健康だけが「よりどころ」でして、何かあると大変なのです。
 今だから言える話をついでにあと2つ程しましょう。
 私は以前から血圧が高目でしたが、忘れもしない平成28年2月、勉強のし過ぎか、何だか具合が悪く心臓がバクバクするので、自分で救急車を呼んで3日ばかり入院しました。結局は「普通の高血圧」と、お医者さんから言われました。現在も当然、薬の世話になっており、健康上、問題は在りません。(そういえば、入院当時、やさしい女性がいらして、「私なんか30代の時分から血圧の薬を飲んでいるよ。」と声を掛けて下さいました。自分はその時はまだ、将来結婚して子供が欲しいので、それまでは、いわゆる「持病持ち」になりたく無かったのです。)
 さらに同年12月、以前から患っていた「白内障」の手術を両目共に受けました。そうしないと翌年の車の免許の更新が無理だったからです。60歳位で白内障の手術なんて早過ぎるよ。と言われそうですが、生身の身体です。弱い所はあるものです。なお、術後は今でもそのお医者さんから目薬を貰って、真面目に点眼しているので、状態は良好です。
 以上、28年~29年にかけて、「激動」の時期を過ごしました。でも、悪い事は何も起きていません。一番大事な「自分の身体」を健康に保て、更に自分の夢を叶えているのです。今、思う事は、
① 現状から少しでも「進化」出来るよう、誰かに尋ねる、あるいはネットで調べるなどしていこう。
② 身体は必ず老化していくから、今の健康を維持する事に全力を上げよう。
③ 儲からなくても良いから、仕事の「環境」を揃えて、毎日楽しく過ごせる様にしていこう。
④ あと10年以上税理士を名乗っていたいから、少しづつでも「前進」して行かなければ。
⑤ 将来、自分の家に誰かが「住んで」くれるだろうから、それを楽しみにしていこう。
 どうも今回は表題の「いろいろあった2019年」と「2020年を飛躍の年に」について書くスペースが無いので、またにします。では、また。

教育現場にAIを

今日は。今流行りのAIでもって教育現場を変えていきましょう。
 先日、中学生に租税教室を行いました。学校は新しく、立派で、生徒達は伸び伸び過ごしていて、先生は、受験間近の為か休憩時間も学習をフォローしておられた。
【1】児童1人に1台のパソコンとは?
 人間の手指の機能は脳の発達に直結する。これは言語の比では無い‥と思う。そこで児童にパソコンを使わせて脳の発達を促すのである。
 これを柱に据えて、教員はサポートするのみ。
 今までは教員が教科書を使って手作りの授業を開いていた。これからは日本を挙げて統一化された講義を一人一人の児童に提供する。
 これで「平均点」は確実に上がる。逆に言えば、この段階で平均点が上がらなければオワリだろう。
【2】日本人らしい対応
 では次に考える事は?‥それは児童の親に対峙する際の方策である。即ち、現代の教育現場は半分は「親」が主人公である。そんなバカなと思うかもしれない。だが、考えてみよう。金を出し、車で送って、学校にも文句を言い、挙句には就職の心配までするのが現代の親なのである。そんな親達に1人の教員が対峙していくのは人として辛すぎる。 だから教育現場にAIを持ち込んで「平均点アップ」という国の指針を明確に達成して見せて、ある意味AIは人間を超えている。と親達に判らせるのである。
【3】世界はどうか?
 世界の事は専門でも無い限り判らない。だが一つ言える事は「世界は~」と言える人はそれだけでエリートなのである。
 つまり、エリートを育てる事がAIの「次の目標」だと思う。エリート達が世界に羽ばたき、日本を導いていく事が出来たら、→何の事は無い。今の中国がやっている姿そのものじゃないか。
【4】やっぱり日本は遅れている?
 中国の後ろを追いかけているというのは屈辱か? いや全然そんな事は無い。真剣に追いかけたら良い。
 所詮、人間は再生を繰り返して種の保存を脈々と紡いできた訳だが、「日本は遅れている。」という事実の上に立って、ここから這い上がっていかなければ人類の未来など語る資格すらないのだ。→つまりは誰かの「奴隷」に甘んじてしまう。(現代社会に於いて奴隷の様な気持ちで命を紡いでいる個人、あるいは民族がこの地球上に多数存在している事に気付かないといけない。)
【5】何でもやってみる
 AIでも量子コンピューターでも良い。失敗しても誰も文句は言わないからやってみよう、というのが今日の結論です。
 だけど、それにしても思うのは、人が生まれて育つとはかくも「平等な社会」なり。ということです。子を思う親の気持ちがあってこその平等社会です。そのうち、子供というのは「生産調整国際機関」が計画的に、かつ、国際紛争を未然に防ぐべく、ゲノム編集をあしらって生産する「生産物」だよ。‥などという世界が訪れたら、と思うとゾッとしますよね。今の自然の世界に生きていられる「未完成なるがゆえにガンバッテいる人類」の一人でいられる事にちょっとだけ安堵の気持ちで今日も‥さて、何をしようか?と思いつつ、生きていきます。 では、また。

ピラミッドは何故建てられたか?

 今日は。今日は天気が悪いので本日2個目のブログを書きます。
 表題について答えは単純なのですが、想像の粋を出ていない(つまり証明出来ない)為、話題にならないのです。
 では答えを紐解いていきましょう。
(1) 先ず、その大きさについて
 ‥宇宙から見える大きさにしたかった。→宇宙人がやって来る際の目印にする為だから。
(2) 高さについて
 ‥実はこの「高さ」こそが最大のテーマだった。‥単に高さだけを求めたのでは無い。永久にそこに存在しなければならない訳で、その為の「底辺×高さ」を計算すれば、必然的に今の寸法が出てくるから。
(3) 高さの理由は?
 ‥一番天辺から何かを放出する。‥それは死んだ人間から死後数分間だけ放出される物質‥何かのイオンの様な分子だ。質量は有る。
 ‥人間は死ぬとそういう分子を放出してその分質量が減少する。→その分子は宇宙へ向かう。→宇宙ではそれを待ち構えて回収する何か(誰か?)がいる訳。
(個人的な意見ですが、自分の母親が亡くなった時、見る見る内にその体がしぼんでいく様な感覚に襲われました。)
 ‥この「高さ」を実現させた者はエジプトのケースの他には無い訳だから、何でも回収された訳では無い。
(4) では「ナスカの地上絵」などは何だったのか?
 ‥マチュピチュもそうだが、自分たちの先祖に対する回顧の念があるので、人間は色々作りたい訳。
 以上、色々書いてきましたが、ちょっと恥ずかしくなってきました。
 でも、ちょっと待った。
 またまた、自分の20代の頃の話を思い出しました。⇒それは、その昔、エジプトでは何故ミイラを作ったか?についてです。
 では説明しましょう。
(1) 人間の複製を求めた。(実のところは「永遠の命」を求めたのだが、実現の可能性を判断した訳。)
 ‥人間の体内の何処かに「人間の種」がある筈だから、その「種」を取りたい。→知ってのとおり、種はすぐには取れない。しばらく「寝かせて」おいてそれから取るのである。
(2) 最初は王様だけが対象だったのだが、旨く行かない為、練習を兼ねて他の者についても同じ様な作業を施したのである。
 (この話をした時もお約束みたいにシカトされました。先日の「人間の養殖」のケースと同じでした。)
 (いえ、記憶の間違いでした。女性陣から「えーっ」という声が上がりました。35年程前の懐かしい思い出です。)
 以上で何が判るか?
 人間の欲望はやっぱり「究極的には」永遠の命を得る事なのである。⇒何故そんなにも永遠の命が欲しいか?⇒それは簡単。宇宙ではそれが当然だから。
 詰まるところ、人間は早く「一人前の宇宙人」になりたい。‥のである。
 (だけど、自分は「お月様」を見るたび、死んだ母親がそこに居るかの様な気持ちになるのです。これは又、別の感情かな?良く判りませんが。)
 私が小学生の頃、学校から帰ったちょうどその時間位から始まるテレビ番組がありました。それは「未来星人~」だったか、題名は忘れました⇒調べました。‥題名は「妖怪人間ベム」でした。いつも必ず「はやく人間になりたい」と言っていました。私はその言葉を聞くたび、涙が出そうな位に切ない気持ちになったものです。
 以上、いろいろ書いてきましたが、人は自分の信じた道を突き進めば良い。というのが過去の人々から学び取れるメッセージでしょう。
 来月、又「租税教室」を行います。変な話はしません。ただ、たった15人のクラスだから‥と思ってはいけない。自分は小学生のときの26人の同級生の内、もう5人も亡くなった。‥一番大事な事は「生き抜く」事である。‥とだけ言いたいけど、それも言えるかどうかは分かりません。 長くなりました。 では、また。

 

お金は動いていない。

 今日は。どうも自分は貧乏なせいか、考え方がネガティブになっているのが分かる。
 でも「習性」なのでいろいろ考えたい。 お金が動いていないとは、自分の様な貧乏人、ワーキングプアとかの生活がカツカツの人、あるいは稼いだお金の行き先が決まっている人たちにとって、生活する上でお金が動き、結果として経済が活発化している‥などという実感は無いハズ。
 ましてや物価の上昇を望むなんて感覚になるハズは無い。むしろデフレを歓迎している人が多いと思う。
 では実際に動いているお金とは何か?
① 人では無く会社の経営が正常ならばお金は必ず動く。
② 行政の予算は必ず使い切る。
③ 個人の消費に繋がる。
 ①、②だけで十分な動きであり、③というのは生活費の事であり、これを「消費」などと分類している段階ですでに間違っているだろう。
 では、動いていないお金とは?
① タンス預金、銀行に死ぬまで預けっぱなしのお金(これらは動かす気の無いお金)。
② 会社が貯めこんでいるお金。 である。
 ①のお金はいわゆる「発行済みの現金」から差っ引いてカウントすべきだろう。
 ②のお金は健全なお金なので、これを政府がどうせよ、こうせよ。と言うのは間違っていると思う。
 いっその事、世の中のお金の「健全度」なるものを測ってみたら良い。「それこそ大きなお世話」と言われそうだが、「社会の健全性」について真剣に考えるべき時期に来ていると思う。めんどくさいので誰も言わないけど。
 果たして世の中は「お金」で動いているのか?‥いや、実は違う。お金は数字であり、最高に分かりやすい。がしかし、それで社会が見渡せるなどと考えるのは大間違いだと思う。
 では、人の幸せ、はて又、希望というのは何か?‥人が豊かになるとは実際のところ何なのか?
 ここで逆転の発想をしてみよう。‥人の幸せとは、豊かさとは、お金と時間と己の肉体の健康について余裕がある状態を指す。‥と考えると、日本国民が豊かで幸せな国民になれる様にするのが国を初め社会の責任であり、目標である。‥と思う。
 何と言っても経済社会は健全なる会社組織が経済価値を生み続けて、人間の英知を集約して、これまで不可能と言われて来た何かを可能にする。‥何ともロマンチックなシナリオが実は社会の目的なのだと思う。ロマンチック過ぎてあまり口に出して言わないだけである。
 人は余裕が生まれ、かつ、意欲が伴えば活発に活動する様になると信じる。だけど、今後も変わらず動かないお金は大きな割合を占めているだろう。
 たとえ国の債務残高が2.000兆円になっても国が破綻する訳でもないし、国民の暮しぶりは今と変わらないと思う。それで良いのである。
 世界の中で「円」を自国通貨としているのは日本だけのせいか、日本の将来が見えていない人が自分を含め、多過ぎる気がする。
 そんな時は、あえて世界を見渡し、100年後の世界について考えてみたら、逆に今、自分のすべき事が判るかも。 では、今日はここ迄にします。